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旅行日記
イタリア研修旅行記(ミラノ・ヴェネツィア・ヴェローナ建築巡礼の旅)
潟Aーキノヴァ設計工房 代表取締役 柏本 保

去る2019年9月13日から9月21日までの9日間、兵庫県建築設計監理協会のイタリア(ミラノ)研修旅行に瀬戸本夫妻、佐川夫妻、渥美夫妻、私と息子、計8名が参加いたしました。

今回の研修旅行はそれぞれ現地での目的が違うため、行きと帰りの飛行機及び初日と最終日の夕食以外は、ミラノ宿泊をベースに行先はそれぞれ自由といたしました。

一昨年の建築家仲間とのイタリア研修旅行(フィレンツェ)の際に巡ったローマおよびスペイン・バルセロナの二人旅、昨年のパリ5連泊の二人旅に続いて3年連続の“建築好き父子の珍道中”第3弾『ヨーロッパ・建築巡礼の旅』です。

今回の旅行前も東京に勤務している息子の関西出張時に何度も旅程の討議を重ねましたが、結局3カ所の都市を巡るハードな旅程となりました。ちなみにパリではル・コルビュジエの作品を組み込んだ建物巡りでしたが、今回はヴェネツィア生まれの建築家:カルロ・スカルパの建物巡りを予定に組みました。


 ミラノの初日(9月14日)は、ミラノ・マルペンサ空港に朝9時に到着予定でしたが、飛行機の遅れによりホテルへの移動が大幅に遅れ、チェックインが11時30頃となりました。

最初にミラノの象徴であり、イタリアのゴシック建築を代表する「ミラノ大聖堂(ドゥオーモ」を訪れました。着工から約500年の歳月を経て完成。その特徴は天にそびえる135本の尖塔と柱や壁を飾っている3500の彫像であり、最も高い尖塔の先の黄金のマリア像は圧倒的な存在感があります。その厳かで広大な内部空間は、普通に見学すると2時間程度かかります。残念ながら先を急ぐ都合上、屋上のテラスに上ることができませんでした。


ミラノ大聖堂の写真

そこから北側の「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア」に移動しました。
1861年の再開発の一環として実現した、ミラノ大聖堂とスカラ広場を結ぶ高級ブランドの店が立ち並ぶアーケードで、当時の新しい素材である鉄とガラスによる大胆なヴォールド天井の大空間です。


スカラ座の写真

次に「スカラ座」に向かいました。「スカラ座」は世界でも屈指のオペラ劇場ですが、新古典主義の外観は周囲の建物に埋没するほど思いの外シンプルでした。ロビーは昨年訪れたパリの「オペラ・ガルニエ」の絢爛豪華さに比べて、外観と同じく慎ましやかでしたが、ホール内部は2,800人が収容できる大空間です。当日、ホール内部は見学できませんでしたが、30名程度のあでやかなバレー公演を2階の“のぞき窓”から垣間観ることができました。



そこから、レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作“最後の晩餐”を観るため、「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」に向かいました。ミラノ市街地から少し離れた西部に位置し、赤茶色のクーポラが目印の建物ですが、メトロの最寄り駅からかなり離れているため、建物を探すのに少々時間を費やしました。教会付属の修道院の食堂の壁に描かれたこの作品は、ダ・ヴィンチが43歳の時に約3年掛け制作した作品であり、縦4.2m・横9.1mの大きさで、描かれた人物はほぼ等身大のようです。その高度な技術は圧巻で、この絵画を間近で観ることができた幸せを甘受いたしました。


最後の晩餐の写真

 1日目は到着の遅れにより、見学地の予定時間を超過してしまい、大急ぎで瀬戸本さんの現地の友人に予約していただいたレストランに直行、30分程度遅刻いたしましたが、皆と合流。おいしい地中海料理に舌鼓を打ちました。

 2日目(9 月 15 日)は、まず、最初にステファノ・ボ・エリ・アーキテクト設計の集合住宅「ボスコ・ヴェルティカーレ」(垂直の森)を見学しました。その名の通り、森を積層したような奇抜な外観が目を引く高層集合住宅です。現地はポルタ・ヌオーヴァ・イゾラ再開発地区にあり、27 階建て・高さ 110mの棟と 19 階建て・高さ 76mの棟からなるツインタワーです。2 棟のバルコニーには、高さ 3〜6m の中低木が 900 本、低木が 5,000本、花が 1 万 1,000 株植えられているそうです。バルコニーのキャンティレバーの奥行きは 3.3m ありますが、程良く生い茂った植栽は1年中専属の庭師が手入れを行っているそうです。


ガエ・アウレンティ広場

 次に近くの「ガエ・アウレンティ広場」に向かいました。この地域はポルタ・ガルバルディ駅前の再開発で生まれた広場で、噴水のある広場や商業施設、近代的なビルが建ち並び、新しい名所となっている地域です。この周辺には洗練されたデザインの集合住宅も随所に在り、大いに刺激を受けました。


 ここからおしゃれなカフェやショップが軒を連ねる「コルソコモ通り」、「ガルバルティ通り」へと移動しました。早朝で人の流れがまだまばらでしたが、街並みの統一感は見事であり、左右の建物の中央部分は街角カフェや露店が雰囲気を醸し出し、人々が行き交う歩行者専用のとても居心地の良いゾーンです。


ガルバルティ通りの写真

神戸三宮のメイン通りであるフラワーロードも将来“歩行者専用ゾーン”にする予定ですが、このように洗練された空間をお手本にすれば良いとの思いを強くいたしました。



次に本日のメインの建物巡りであるレム・コールハース設計の「プラダ財団美術館」に向かいました。この建物はプラダ財団の新たな拠点であり、ミラノ南端に位置する工場の跡地で、美術館として再生された建物群があり、7棟の既存建物と3棟の新しい建物で構成されています。財団の新しいコレクションを展示する9階建てのタワーはファサードのガラス張り部分が各階ごとに左右にずれており、この仕掛けがとても象徴的なデザインとなっています。内部から臨むことのできる街並みのロケーションも素晴らしく、この施設のランドマーク的役割を果たしています。また各階の展示室を繋ぐガラスを多用した階段のデザインが素晴らしく、上階に抵抗なくスムーズに移動したくなるよう配慮されていました。



ここから市の中央部に移動し、「ブレラ美術館」に向かいました。この美術館はナポレオン政権下で収集された宗教画が主流の国立美術館であり、『ピエタ』、『死せるキリスト』をはじめ、名作がずらりと並んでおり、建物の中庭もとても居心地の良い空間でした。


モンテ・ナポリオーネ通りの写真

次に、「モンテ・ナポリオーネ通り」に向かいました。ここはブランド物のショップが建ち並ぶストリートですが、イタリアのフェラーリ等の高級車があちこちにさりげなく路上駐車してあり、庶民とかけ離れた印象を持ちました。

 3日目(9月16日)は、ヴェローナ研修です。高速鉄道でミラノ中央駅からヴェネツィアに移動する途中に位置し、街並の美しさ、ミラノへの移動の利便性、またカルロ・スカルパ設計の建物が比較的多く存在するという理由で、今回の旅程に組み入れました。当日は瀬戸本夫妻もヴェローナを訪れる予定で、最寄りのボルタ・ヌオーヴァ駅で待ち合わせする約束でしたが、瀬戸本夫妻の予約した列車の出発が大幅に遅れ、結局別行動となりました。



ヴェローナは、人口約25万人の都市であり、街の中心部にはシンボルであるローマ時代の「円形闘技場」が残っており、2000年には街全体が世界遺産に登録されたとても美しい街です。シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の舞台としても知られている所です。街の中心地「ブラ広場」周辺に観光地がほぼ集中しており、「エルベ広場」、「シニョーリ広場」、「ジュリエッタの家」、「ランベルティの塔」等は旅行者が必ず訪れる名所であり、我々も一通り訪れました。



本日の建築巡礼の目的はカルロ・スカルパ設計の「ヴェローナ銀行」、「カステルヴェッキオ美術館」です。午前中に「カステルヴェッキオ美術館」を訪れましたが、どこからも入れず休館の気配でした。さらに中心部から離れた「サン・ジェノ・マジョーレ教会」に移動しましたが、かなりの距離があり、やっとたどり着いたらここも門が閉鎖されており、目的地入館2連敗となってしましました。


ヴェローナの写真

ここから次の目的地である「ヴェローナ銀行」に移動しましたが、当該建物は市街地の裏通りにありました。設計者カルロ・スカルパは建築家の中でも、工芸的な人と言われており、作品に共通するのはコンクリート、石、木、鉄等色々は素材が多用されています。彼の設計した建物な大半がリノベーションですが、この建物も一部本社屋を残し、その他を新築した建物です。残念ながら内部は見ることができませんでしたが、ファサード部分の窓や壁面の細部のこだわりのディテールを十分堪能いたしました。



その後「エルベ広場」で私は小休止しましたが、息子は、「カステルヴェッキオ美術館」に再度一人で開館の確認に行きました。その途中を瀬戸本夫妻が偶然に見かけ、奇跡的に出会いました。結果的に美術館は午前中閉館だったようで、午後は開館しており、4人で美術館に無事入館できました。この建物も古い城のリノベーションですが、コンクリート、石、木材、鉄を融合させ、窓の格子や一部日本の神社を彷彿させるデザイン手法は、彼が度々日本を訪れ、日本的なデザインを良く研究していたことが十二分に感じ取れました。



 4日目(9月18日)はヴェネツィア研修です。最初に「リアルト橋」に向かいました。この橋は“白い巨象”と呼ばれる単一アーチの石橋であり、フィレンツェのヴェッキオ橋のように通路の両側が土産物の店舗となっておりました。ここから観光客の誰もが訪れる「サンマルコ広場」に移動しました。この広場はナポレオンが“世界一美しい”と讃えた壮麗な広場であり、北欧のカフェ文化発祥地です。続いてこの広場に面し、東方文化の影響を感じさせる煌びやかな「サンマルコ寺院」、すぐ隣の「ドゥカーレ寺院」を見学しましたが、この後、せっかく風光明媚なこの地に来たからには“ゴンドラクルーズ”は外せないとの思いから、30分程度でしたが、快適な運河クルーズを満喫いたしました。


St. Mark's Squareの写真

ここから、西端のサン・ポーロ地区にある「サンタ・マリア・グロリオーザ・ディ・フラーリ聖堂」に向かいました。この街を代表する教会の一つで、多くの貴重な美術品が展示されていますが、主祭壇の『聖母被昇天』をはじめとても印象的な絵画を楽しむことができました。



次に、この日最後の見学地である「アカデミア橋」に移動しました。この橋は元々鉄骨の橋を作り替える際の仮設橋であったものですが、この木造の架設橋が意匠的に優れており、評判が良かったのでそのまま残したそうです。



 5日目(9月18日)はいよいよカルロ・スカルパの『建築巡礼の旅』のメインイベント「ブリオン家墓地」の見学です。宿泊ホテルを早朝7時に出発しましたが、これには少々訳があります。目的地がとんでもなく辺鄙な場所にあり、当地へのバスの午前中の便が早朝一便しかなく、この時間帯を外せば、帰りが夜になってしまうからです。



メストレ駅からカステルフランコ駅に向い、ここから徒歩で20分程度移動して、バス停まで向かい、そこから30分程度バスで移動し、墓地の最寄りバス停に到着しました。ここからさらに徒歩20分程度で、9時30分頃にようやく目的地にたどり着くことができました。



この墓地はイタリアの電気メーカー・ブリオン・ヴェガ社一族の2,400uに及ぶものです。広大な敷地は静寂なだけではなく、自然環境と人口池、メインの構造物、点在するモニュメントが環境空間として機能しており、随所に見受けられるスカルパらしい緻密に計算されたこだわりのディテールや、アクセントのモザイクタイルも見事に融和しています。



コンクリート打ち放しのメイン建物は、建築雑誌で見るより意外に小さいという印象を受けました。竣工してから40年が経過していますが、植物が建物に程よく絡みつき調和している様は、まるで時の経過を彼が見越していたかのようです。また、池の中程に建つ東屋や松の木の植栽、蓮が浮かぶ池の中を錦鯉が泳ぐ姿は、彼が日本通であったことを随所に感じ取ることができました。ここで1時間30分程度過ごしましたが、バスの到着時間の午後1時30分まで随分時間の余裕があり、かなりの時間を地元のカフェ等で過ごさざるを得ませんでした。


       
ブリオン家墓地の写真

ここから、再度ヴェネツィアに移動し、サンタ・ルチア駅前の「スカルツィ橋」や「サンシェルミア広場」、「グリエ橋」等、前日訪れなかった地区を散策いたしました。それから宿泊ホテルに戻り預けた荷物を受け取り、その日の内にミラノに移動し、ハードスケジュールを何とかこなしました。



 9月19日(6日目)いよいよ研修旅行の最終日です。今日はミラノ南西部「ナヴィリオ地区」の散策からスタートしました。この地域は、ナヴィリオ・グランデ運河沿いに広がるノスタルジックな雰囲気に包まれ、散策に適した街です。最近はおしゃれなスタジオなどもあって、新旧二つのミラノが混在しており、街の雰囲気を十分楽しむことができました。



次に「サン・ロレンツォ・マジョーレ教会」に移動しました。教会前に建つ16本の円柱は古代ローマに神殿から移築したもので、とても印象的です。そのすぐ横を走行するモダンなデザインの路面電車とは一見不釣り合いのようですが、新旧混在はイタリアの街並みを象徴しており、特に違和感はありません。ここからさらに「サンタン・ブロージョ教会」へと移動しました。この建物はロマネスク建築の原型であり、2層に重ねられた5つの回廊式のファサードの前には柱廊に囲まれた前庭アトリウムがこの聖堂の静寂を作りだしております。      
ナヴィリオ地区の写真

この後、最後の見学地「スフォルツェスコ城・博物館」に移動しました。この建物はミラノ・ルネッサンス期の最大の建物で、14世紀の建てられた城塞です。当時はダ・ヴィンチをはじめイタリアの芸術家が集い、才能を発揮した場所でありました。現在はいくつもの美術・博物館が巨大な建物の中に有り、数多くの絵画や貴重な物品が陳列されています。併設されているロンダニーニ・ピエタ美術館は、ミケランジェロが89歳で亡くなるまで10年以上の歳月を掛けた『ピエタ像』のみの美術館であり、荒々しい表面から未完とも言われています。天に上るようにイエスを抱くマリアを描いた構図は不思議な魅力を持った作品でした。


これで今回の建物巡礼を終え、ホテルに向かい、皆と合流しました。


ピエタ像の写真

最後の夜の会食は、瀬戸本さんの友人の日本人が経営する、日本料理専門のレストランで久々の日本料理を堪能しました。


 

今回の“建物巡礼の旅”も寸分の余裕もないあわただしい旅となりましたが、当初の予定をなんとかこなすことができ、昨年のパリにも増して感慨深い旅となりました。

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