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旅行日記
フランス研修旅行記(パリ・建築巡礼の旅)
潟Aーキノヴァ設計工房 代表取締役 柏本 保

去る 2018 年 10 月 23 日(火)から 10 月 30 日(火)までの 8 日間、ゼネコンの設 計部に勤める息子と二人でフランス研修旅行に行きました。“暮らすように旅する”パリの 5連泊です。

昨年の建築家仲間とのイリア研修旅行の際、2 日間別行動で行った“ローマとスペイン・バルセロナ二人旅”に続いての気ままな親子ならではの、口論もある“珍道中第二弾“パリ建築巡礼の旅”です。

今回の旅行は日程的にタイトであった昨年の反省点を踏まえ、息子と何度も討議を重ね、移動時間のロスを勘案、あまり欲張らないでパリ中心街、概ねセーヌ側沿いの建物をメインに見学する旅程を組みました。とは言え、せっかくフランスに行くからには世界遺産「モン・サン・ミシェル」はぜひ見学しておこうと話がまとまり、一日だけ観光バスツアーに参加することにしました。またパリ郊外にあるル・コルビュジエ設計の「サヴォア邸」も見逃せないと、これも見学コースに組み込みました。

パリの初日(10 月 24 日)ド・ゴール空港に早朝到着後、午後 12 時のチェックイン前にホテルに荷物を預けました。ホテルはパリ9区にあり、比較的パリ中心街に近くメトロでの移動にとても利便性の高い場所でした。

最初にホテルから徒歩で行ける「オペラ・ガルニエ」を見学しました。シャルル・ガルニエの設計により 1875 年に建設された舞台芸術の殿堂。外観内装とも壮麗な造りで、特にシャガールのドーム天井画や大理石の大階段は豪華絢爛、黄装飾の外観は街区の建物を従えている“艶っぽい女王”の趣があります。
パリの写真 それにしてもパリの街並みは建物の外観、高さに統一感がとれて、実際街を歩いてみると寸分の隙もなく見事の一言です。日本の近代的ではあるものの、統一感のない街並みはお粗末に感じてしまいます。

午後には「凱旋門」に移動。1805 年に皇帝ナポレオンが率いるフランス軍がロシアとオーストリアの連合軍に大逆転勝利を収めた記念に造られた建物で、ご存じフランスの光の象徴的建物です。高さが約 50mあり、実物は写真で見るより数段迫力があります。ただしメイン道路が放射線状に集まった幹線道路の中央に位置し、車が門の周囲をひっきりなしに往来する場所に建っているのは意外でした。

凱旋門からは世界で最も有名な通りの一つである“シャンゼリゼ通り”に一直線で繋がっています。この通りは19世紀半ばのパリ改造以前は両サイドに立ち並ぶ建物群はなく、人々が散策に訪れる程度の場所であったようです。現在は有名ブランド店やカフェ、雑貨店等が軒を連ね、世界中の観光客で賑わっています。整然としたマロニエの並木道により、とかく観光地にありがちな雑然とした雰囲気が全く感じられないところがすばらしいと思いました。

続いてジャン・ヌーヴェル設計の「ケ・ブランリ美術館」へ向かいました。時間の都合上、外観のみの見学となりましたが、ガラスの壁面からイエロー、オレンジ、パープルのボックスが付き出たアートでポップな作品、巨大な舟のようなかなりのインパクトのあるデザインでした。ジャン・ヌーヴェルの今までのデザインの方向性を変えたことで、竣工当時話題となったようです。また事務所棟の壁面緑化は誰もが足を止める程のインパクトがありました。
エッフェル塔の写真 ここからすぐ近くの「エッフェル塔」へと向かいました。1889 年の万国博覧会を記念して造られた塔は従来のフランスの石を使用した建物と違い、工業化を象徴する鉄を使用した構造物です。当時は芸術家たちの反対運動もあったようですが、今ではすっかり市民に受け入れられ、パリのシンボルとなっています。後日見た、日没後の毎時 5 分間の塔全体のイルミネーションによるシャンパンフラッシュはとてもゴージャスでした。また 50 メートルの高さの展望広場に昇ってみるとパリの街並みが一望でき、東京、大阪と違い、高層ビル群は特別地域の一角だけで、全般的に建物高さに統一感があり、中心部を流れるセーヌ川との調和がとても美しいのが印象的でした。

2 日目(10 月 25 日)はいよいよ「ルーヴル美術館」。1793 年に開館した国立美術館 で、3棟からなる展示フロアー面積は 7 万u、随時 3 万 6000 点を展示している世界最大 の美術館であり、じっくり廻ると一週間以上は費やしそうです。

ともかく巨大な美術館なので、事前にいかに効率よく廻るかの作戦をたて、息子が購入した“ルーヴル早まわり”の書籍等を参考に並ばずに最も早く入れる入口を事前に調べ、また必見の観賞作品レオナルド・ダ・ヴィンチの“モナリザ”、“ミロのヴィーナス”等約 50 の作品を中心に設置場所も事前に入念にチェックしておきました。約 4 時間かけ内部を駆け回り、概ね予定した作品を観賞しました。“モナリザ”はその他の絵画とは異なり、厳重にガラスケースに収納され見学者との間に柵が設置されておりました。予定時間を超過していることもあり、昼食もそこそこに次の見学地「パリ市庁舎」に向かいました。。
ルーヴル美術館の写真 「パリ市庁舎」はパリ・コミューン時に破解され、1892 年に再建されました。新ルネッサンス様式にゴシック様式が一部取り入れられ、多くの英雄達の人物像が何百体と飾られたファサードは迫力満点、存在感のある重厚な意匠で思わず足を止め、見とれてしまいました。
続いてすぐ近くにある「ポンピドゥー・センー」に向かいました。このミュージアムは設計レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャース設計の作品であり、工事中の足場を残したような奇抜なデザイン、原色の配管がむき出しになったような外観です。およそパリ市街の景観にはそぐわないような奇抜な施設ですが、今やすっかりパリの街に定着しており、パリ は何とも不思議な町です。当日は安藤忠雄展の開催期間中で、そのためかどうかはわかりませんが、入口に大勢の人々が列をなしており、先を急ぐ都合上建物内には入場しませんでした。

隈研吾事務所前の写真 次に世界的な建築家の隈研吾氏のパリ事務所を訪問しました。これにはいささか経緯があります。実はパリ研修旅行の 3 週間程前に、新しい伊丹市役所建設の設計者・隈研吾氏の講演会が地元で開催され、主催者である建築士会阪神支部にお招きいただいた際、隈研吾氏とお会いし会食する機会があり、イミング良くパリ事務所を訪問する話が急遽決まりました。息子は突然のサプライズに大喜び、早速スケジュールに組み込みました。

パリ事務所はパリ 11 区の比較的下町の雰囲気の漂う表通りから一歩入った路地空間に面する 2 階建ての建物の1階にありますが、表通りとは一変。まるでパリ郊外にあるような静かな雰囲気を醸し出し、隈氏が約半年かけてこの場所を探したと聞いて納得しました。
事務所内部もトップライトから光が降り注ぎ、3 層にスキップした、天井が高いおしゃれなオフィスで、世界各国から集まったスッフが黙々と仕事に取り組んでいる姿はとてもさまになる光景でした。約 30 名のスッフの内日本人スッフは 2 名ですが、懇切丁寧に応対していただき、新しいプロジェクトの模型の説明も受け、有意義な1時間でした。
それから「モンマルトルの丘」に向かいましたが、現地到着予定時間が大幅に超過し、すでに日没が近づいておりました。モンマルトルはパリ市内で唯一の丘陵地ですが、ユトリロに代表される画家や芸術家がこよなく愛した街です。最初に訪れた3つのドームを有したエキゾチックな雰囲気の「サクレ・クール寺院」や「テルトル広場」は観光客でごった返し、広場はカフェや土産物売り場店に囲まれ、画家たちが自作や似顔絵を売っており、牧歌的な雰囲気が残る庶民的な街でした。当初の目的はユトリロが描いたような街を散策、風景を撮影しスケッチの材料にする予定だったのですが、残念ながら日没で叶いませんでした。

モン・サン・ミシェルの写真 3 日目(10 月 26 日)は「モン・サン・ミシェル」観光です。
「モン・サン・ミシェル」はパリから約 360 q、ノルマンディとブルーニュ地方の狭間に浮かぶ島で、聖ロベール司教が大天使ミカエルから聖堂建築の“お告げ”を受け、10世紀に修道院を建設。13 世紀にほぼ現在の姿になったようです。岩肌の島を建物全体で覆い尽くした海に浮かぶ奇蹟の孤島として、その幻想的な姿に魅せられ訪れる人の絶えないフランス屈指の観光名所です。当日は寒波で朝は 2、3℃、昼も 7、8℃の気温でしたが、寒さを忘れてその噂にたがわぬ幻想的な美しさを堪能しました。

4 日目(10 月 27 日)はル・コルビュジエ作品の見学です。パリから高速鉄道で約 30 q移動し、パリ北西部のポワシーの小高い丘の住宅街にひそかに建つ「サヴォア邸」に向か いました。パリに住んでいたサヴォア夫妻の週末住宅として、1931 年に竣工しました。 建物全体がピロティ形式となっており、飾りをそぎ落とした真っ白な外壁の明快なフォル ムです。

一階は馬蹄形のエントランス、ユーティリティ寝室等の諸室があり、エントランスからスロープ、らせん階段により 2 階へ上がります。2 階はリビング、寝室などの主要諸室があり、居間からは広いテラスを臨むことができます。そこからさらにスロープで屋上に繋がっています。屋上には日光浴場があり、寝そべって広大な緑で囲まれた庭を見下ろすことができる快適な空間です。それぞれの空間に合理的な機能というよりむしろドラマチックな仕掛けがしてあります。一度は廃墟同然となっていたようですが、後年文化財として保存されました。まさに 20 世紀を代表する住宅です。

次にパリ西部に移動し、やはりル・コルビュジエ設計の「ラ・ロッシュ邸」を見学しました。この住宅は 1924 年竣工の兄弟のための 2 連棟の邸宅で、長い袋小路の突き当りにL型に配置されています。連棟の手前が「ジャン・ヌレ邸」、奥が「ラ・ロッシュ邸」です。

「ラ・ロッシュ邸」は膨らんだ外壁に沿ってスロープが伸び、大きなギャラリースペースが主空間となった 2 つの邸宅がセンーの吹き抜けのホールで出会うような大胆な構成となり、内部壁面もコルビュジェならではの調和のとれた配色となっていました。

サヴォア邸の写真 そして本日最後の見学地、ブローニュの森に隣接するフランク・ゲーリー設計の「フォンダシオン・ルイヴィトン」に向かいました。ルイヴィトン財団が所有するコレクションの常設展示のためのギャラリーやシアー、レストラン等の複合施設ですが、風をはらむ帆を揚げた舟のような自由闊達な外観は驚嘆に値し言葉に言い尽くせません。“氷山”と呼ばれる白い塊の構造物、不定形の曲面を持つ 12 枚のガラスの屋根が部分的に重なり合い、隙間を開けながら覆っており、とても刺激的なデザインです。屋上庭園からは複雑な構造の骨組みを垣間見ることができました。

その後、再び「シャンゼリゼ通り」に向かい一休み。夜は華やかな衣装や仕掛けで有名な社交場「リド」で華麗なダンサー達の 2 時間におよぶショーを堪能しました。

サヴォア邸の写真 5 日目(10 月 28 日)いよいよパリ建築巡礼の最終日です。まずは「オルセー美術館」 に向かいました。この建物は 1900 年のパリ万博を機に開業したオルセー駅の駅舎を改造 した施設ですが、比較的新しい 19 世紀後半から 20 世紀後半の作品が収蔵されており、モ ネ“日傘の女”、ドガ“踊りの花形”、ミレー“落穂拾い”、セザンヌ“林檎とオレンジ”、ゴ ッホ“自画像”、ゴーギャン“ヒチの女たち”、ルノワール“ムーラン・ド・ラ・ギャレッ ト”などきら星のような印象派の画家が一同に会しており、只々感激するばかりです。

続いて「サント・シャペル」に行きました。セーヌ川の中州・シテ島にある 2 階建ての 小さな礼拝堂ですが、数多くの聖書の場面が描かれた、パリ最古のステンドグラスが織りな す光の芸術は“聖なる宝箱”と讃えられ、建築家安藤忠雄氏も絶賛する空間です。

ノートルダム寺院の写真 次にすぐ近くの「ノートルダム大聖堂」に向かいました。この建物は 1163 年から 200年の歳月をかけた聖母マリアのために建設されたフランスを代表するゴシック建築です。
正面の 100m を超える 2 つの尖塔のバランスがとても美しいのですが、セーヌ川沿いの側面も違った表情を見せてくれます。内部の有名な“バラ窓”(シャトーブルー)がとても神秘的です。見学時にはミサが行われており、荘厳な雰囲気を味わうことができました。
最後にかつて文化、芸術の中心としてえた「サン・ジェルマン・デ・プレ地区」を訪れました。ここでは、まず長女たっての要望である“幸運を呼ぶ奇跡のメダル”購入のために「奇跡のメダイユ教会」に行きました。1830 年発祥の建物。聖母マリアのお告げを受けてメダルを配ったところ伝染病が終息したというエピソードを持つ教会です。

次にパリの文化人が好んで集まった最も有名な「カフェ・ド・フロール」に行きました。
友人である神戸北野町のフランスレストランのオーナー・エマニエル氏がコノカフェのオーナーに事前に連絡してくれており、長年パリに住んでいるスタッフのテツヤさんが忙しい時間帯にもかかわらず親切に応対してくれました。

ここで私は一休み。息子はパリ最古のロマネスク教会である「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」と品揃えで有名な書店に行きました。最後にやはりエマニエルさんの友人の経営するレストランで食事をし、“パリ5連泊の建築巡礼の旅”の全ての旅程を終えました。

今回の旅行は滞在期間が5日しか取れないあわただしい日程で、まだまだ訪れたい場所はたくさんありましたが、パリは魅惑的な街であり見どころ満載でした。また南フランスの美しい街々も訪れたいので、もう一度フランス旅行の機会を持ちたい思いを強くいたしました。
サンジェルマン・デ・プレ地区の写真

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